初めまして‐自己紹介

初めまして、塩澤と申します。10月よりアントハウスで中国語コーチングを始めます。まずは自己紹介をさせて下さい。1980年に福生市で生まれ、福生市で育ちました。色々あり、2012年から台湾で3年、中国で8年生活していまして、2023年5月に再び福生市へ戻ってまいりました。現在妻と息子、娘の4人家族です。海外へは家族も一緒に移住をし、一緒に福生に帰ってきました。この辺りのことを少しお話します。

2012年台湾に移住、3年過ごす

2012年に事情により台湾へ移住し、3年ほど生活をしていました。移住当時私は31歳で、中国語はピンインくらいは知っている程度で全然話せないレベルでした。妻と3歳の息子がいましたが、まずは語学勉強と仕事を探すため半年を期限として単身先に向かいます。なぜ台湾へ向かったのかという理由はちょっと込み入った事情があり長くなるので、そのうち機会があれば紹介しようと思います。気になる人は直接聞いてください。

冒頭でも言いましたが、中国語が本当に話せませんでしたので初めの半年は留学生のように言葉を勉強していました。当時はスクールに通うお金も惜しかったので、独学で勉強するほかありませんでした。ピンインくらいは知っている程度といいましたが、実は大学生時代に第二か国語でピンインを習っただけで、そのあとは気が向いたときにちょこちょこ学習はしていました。中国語検定でも受けてみようということでそれなりに勉強をしましたし、簡単な単語などは知識としてはちょっと知っていました。大学卒業後、やったりやらなかったりと数年そんな状態でした。だから台湾へ移住する際も頭の片隅で「どうにかなる」と高をくくっていたのも事実。でも実際はそれまで勉強していたことは全く役に立ちませんでした。

ビックリするぐらい聞き取れない

台湾に行ってすぐに気づいたのは、現地の人が話していることが全く理解できないということ。趣味程度とは言え、ちょこちょこ勉強はしてきた自覚はあったのですが、ボロボロに自信が崩れた瞬間でした。それこそ台湾人が言う「仕事に行ってくる(我要上班)」とか「電気つけて(打开开关)」すらも聞き取れず、どうしたらいいのだろうと途方にくれました。私は留学生でもなく、家族もいるので本当に焦りました。半年で本当にどうにかなるのだろうかと。

それこそ今の私からすれば、その当時の自分が話せない理由はよくわかるのですが、その時の私も「このやり方ではだめだ」と思い、本当に話せるためにはどうしたらいいのかを考えるようになりました。

期限ギリギリの半年後に仕事を見つける

そこでの半年は本当にあっという間でした。2か月目あたりから何となく会話の一部が分かるようになり、日本語を台湾人に教えるバイトもしました。期限ギリギリの半年もすると、話せない日本人を連れて観光案内したり、旅先で情報を得たり交渉したりできるくらいにはなっていました。何をどう勉強すればいいのか、おぼろげですが手ごたえを感じていたのをよく覚えています。そして、タイミングよく台湾での正社員の仕事も見つかり、それなりに給料もよかったので、何とか家族で台湾生活ができる目途がつき、日本で待っていた家族を呼び寄せることができるようになりました。

2015年中国へ移転、8年過ごす

まぁ、本当に色々ありました。そのうち思い出しながら記事にしていこうと思いますが、とにかく台湾でも中国でも色々ありました。ちょっとしたきっかけで台湾から中国へ移転することになり、3年台湾で住み慣れていたのですが、ここにきて中国の蘇州市へ移ります。家族ももちろん一緒です。知っている人は知っていますが、中国の蘇州市は日本人が多い都市で有名です。日本語が分かる中国人も多かったです。この蘇州の話もおいおいできればと思います。目まぐるしく変化する中国で様々な人に出会い、様々な体験もすることが出来ました。まさか8年もいるとは思いませんでした。実は、下の娘は蘇州市の病院で生まれました。それくらい生活にも慣れており、中国語も職場でずっと使っていたため、ビジネスレベルまで成長していました。

本帰国のきっかけと中国語への想い

そこまで慣れていた中国から帰国するきっかけは家族にありました。息子はすでに中学3年生になっており、翌年は高校受験を控えています。中国では、日本人学校に通っていたため、高校も基本的には日本の高校を考えていましたが、実は中国では日本人向けの高校がありません。厳密には上海に唯一ありますが、上海の家賃と学費を考えたらとてもではない額になるため、選択肢にはそもそも入っていません。ちなみに最低でも月30万円の固定費が必要です(生活費は別)。上海の物価はとてつもなく高いです。話がそれましたが、そんなわけで一般的に中国に家族で住んでいる家庭が選ぶ選択肢は大体3つです。

  • 家族だけ帰国して旦那は継続して単身赴任
  • 息子だけ帰国して寮暮らし
  • そのまま中国でインターナショナルスクール

私の場合は、このどれでもありませんでした。本当に家族とも話し合って、どうするのかを考え抜いた結果、「家族全員で帰国」を選択しました。それはつまり勤めていた会社を辞めて日本で仕事を探しなおすことを意味します。そして実際にその会社を辞めて、帰国をして自分でビジネスを立ち上げることにしました。

海外生活をしている時にずっと思っていたことがあります。台湾でも中国でも話せない日本人はたくさんいて、悩んでいる人が多いということ。その中で、逆に話せるようになった日本人も少ないですが確実にいて、その違いをずっと間近で見てきました。話せるようになった人は決して頭の出来が良かったとか、そういう話ではなくて、どんな人であっても話せる人には全員共通していることがありました。その事実と自分がこれまで試行錯誤してきた学習方法の集大成と合わせて、本当にちゃんと話せるようになる中国語教室が出来ないものかと思っていました。一般的な語学スクールにも何度か通いましたし、オンラインスクールも参加したこともありますが、残念ながら私が独学でやってきたこと以上の効果を発揮することはありませんでした。その中で、コーチングというものに出会いました。このコーチングこそが本当に中国語を学習する上で必要なものだと確信しました。

コワーキングスペースとコーチング中国語

事務所兼教室を開くにあたって、コワーキングスペースをオープンしました。もともとこの事業も計画はしていて、前々から準備を進めてきました。コワーキングスペースであれば、教室も確保できるし、教室業との相性も良いからです。地元福生市は、横田基地が近く昔から外国人の多い地域で、語学スクールのニーズはあるかと思いました。

中国語はもちろん、これまで色々な仕事を渡り歩いてきました。講師業も3年やってきましたし、営業や工場の生産管理、物流の会社なんかも経験しました。中国や台湾と関わりたい、興味がある、語学を学びたい、そういう人と今後とも是非繋がりたいです。私と一緒に頑張ってみませんか。

ちょっとでも興味があればご連絡下さい

いきなり売り込むつもりは全くありません。まずは興味・関心がある方からお話を聞けるだけでも面白いです。是非交流を広めましょう。さきほどコワーキングスペースも運営していると書きましたが、ふらりと遊びに来てお話ししに来るだけでも構いません。変な勧誘もしません。本当にやりたいという人だけ申し出てくれればよくて、あとは情報交換だけでもできればそれでOKです。どうぞよろしくお願いします。

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