中国でのコロナ禍3年間

せっかくなので中国や台湾にいたころの話もしていこうと思います。まず何から書こうかと思った時に、やはり一番インパクトの大きかったコロナ禍の時の中国の話が初めに出すのに良いのかなと思いました。コロナが流行った当時は家族揃って中国にいましたので、それはそれは貴重な体験をしたなと今では思います。

中国のゼロコロナ政策は本当

日本に帰国したときに結構な人から聞かれましたので、改めて書きますけど、当時のゼロコロナ政策は水増し無しに本当にやっていました。日本のニュースと中国のニュースを並行してみていましたが、日本の報道は大体あっていました。本当にゼロにしようとする空気が異常でした。市内で1人でも感染者が現れれば、市内の住民の交通が止められ、市内全員のPCR検査を実施します。本当に全員です。何万人いる市だろうが関係ありません。しかも1度ではないです。1週間くらい毎日行ないます。

実施は、「小区」と呼ばれるマンションが密集する団地のような区域が中国はそこら中にあるのですが、その小区単位で行われます。私たちが住んでいた小区は27階建てのマンションが12棟ある地区で、住人は1000人以上はいました。小区の周りは塀で一周を囲い、北門と西門の2箇所のみ外との出入りが出来るようになっています。全人PCR検査をする際は、北門と西門が封鎖されPCR検査を受けないと外に出られないようになっていました。私含め皆さん仕事がありますので、小区から出られないのは困るため、みんな朝6時から検査を受けるために列を作って行儀よく待っていました。

実際の写真がこちら。雨だろうが何だろうが、PCRは実施されます。ボランティアで検査の実施を行なう人達が大勢いました。その人たちは例の宇宙服のような防護服をまとっていました。私はもう見慣れた光景ですが、やっぱり始めてみるとインパクトは大きいかなと思います。

場所にもよるのかも知れませんが、ボランティア方たちはみんな優しかったです。毎日のように検査に来るわけですから、外国人である私たちはすぐに覚えられてよく話しかけられました。中国がすごいなと思ったのが、一人ひとりの情報がしっかりとデータ化されていて誰がいつどこでPCRを受けて、陰性なのかどうかが本人も国も分かるようになっていること。写真は私のパスポート情報と紐づけて本人確認を行なっている様子。これらのことが全部スマホでできてしまう。

スマホの健康証明アプリがないとどこにも行けない

近くで感染者が現れなくても、定期的にPCR検査の義務化が続きます。基本的に2~3日に一度は受けなければなりません。そしてその情報は各スマホの強制的に入れられている健康証明アプリによってリアルタイムに表示されます。

時期にもよりますが、こんな感じで記録に残ります。そして、小区から出るときも、大き目なスーパーに入る時も会社に入る時も、このバーコードを読ませたり、その場所にあるバーコードを逆に読み込んで認証がされないと出入りが出来ませんでした。慣れればどうってことないですが、これを本当にやっていたんだなぁとしみじみ思います。

ちなみに緑状態が正常なのですが、陽性反応が出た場合は一瞬でこれが赤色に変わります。赤色になった人は犯罪者と同じような扱いになります。どこにいようとも強制連行されて、隔離ホテルに収容されます。入った人の話を聞きましたが、もう牢屋に入れられたのと同じで、ホテルとは名ばかりでただの広い施設があるだけ。ベッドがかろうじてあるくらいで、広いとはいえ感染者が何人も同じ場所で生活を共にする。支給される食事も本当に最低限の中華食。そこに最低2週間、PCRで陰性を2回出すまで出られないとのこと。その人は3週間いたようです。

病気の怖さよりも、感染したときのその扱いの方が怖くて、みんな感染に対して本当に敏感になっていました。

国民は全てGPSで追跡できる

基本的に健康コードは緑で正常なのですが、これが黄色になる時があります。それは濃厚接触の疑いがある人です。身に覚えがなくても、ある日突然黄色になることがあります。どういう仕組みなのかというと、感染者(赤)になった場合、感染者の過去2週間分の行動履歴が「公開」されます。本当に政府が公開します。例えば、10月10日の14:00はイオンモールにいたとか、そういう詳細な行動記録が世間にさらされます。そして、運悪く同じ時間帯に同じ場所にいた人が濃厚接触者としてマークされるわけです。

そういう情報は毎日リアルタイムで更新していて、実際に私たちも1時間ズレていたら鉢合わせていたなんてこともありました。安全な場所などないなと思ったのを覚えています。

しばらく家からも出れなかった時があった

厳戒態勢になって小区から出れなくなることもありましたが、きつかったのは小区どころか家からも出れない時期があったこと。情報を得て、買い占めをしていたので食事はどうにかなりましたが、もう暇で暇で。でも私たちはまだマシな方でした。大きなニュースにもなりましたが、22年4月頃に上海ロックダウンありましたね。あれは本当にすごかった。上海は人口2500万人ぐらいいますが、その都市を2か月も完全に機能を止めたのですよ。あり得ない。警察以外はだれも家から出れない。そんなことは日本では絶対に起こりえませんが、中国はやってのけました。

ゼロコロナ終了と感染爆発

22年12月頃、とうとう抑えきれなくなったのか感染が爆発しました。あれだけ感染者を犯罪者扱いしていたのに、今度は国民の9割が感染する広まりよう。当時会社勤めしていた私も含め、会社の社員全員が感染しました。無症状の人が2割くらいいましたが、感染したかどうかで言えば絶対感染したと思います。私もとうとう陽性反応がでて1週間ほど休みましたし、家族も陽性になってしまいました。なぜか娘だけ無事でした。病状自体は大したことなく、風邪と変わらない感じで、1日ですぐ良くなりました。あれだけゼロコロナを進めてきたのに、23年になると180度方針が変わり、コロナに対する対応がゆるゆるになりました。この変化の速さも中国ならではかと思います。

中国は頑張っていた

大変だったことを書いていると中国が危険な場所のように感じたかもしれませんが、そんなことはありません。政府の方針はさておき、中国人はみんな力合わせて対応しようとしていたし、支えあっていたと思います。困ったときはお互い様で、私たちもたくさん助けてもらいました。とにかく中国人のみんなは変化の対応にものすごく柔軟です。ゼロコロナという政府からのとんでもないムチャブリに対し本当によく頑張っていたと思います。中国はこれからも色々あるとは思いますが、バイタリティのある中国人はそれを乗り越えていくのでしょう。

今回はコロナの件で書きましたが、正直書けたのはホンの一部です。大分端折って書きましたがそれだけたくさんの出来事がありましたが、コロナのことばかり書いても仕方ないので、この件についてはこれくらいにしておこうと思います。興味ある方はお話ししましょう。

「いいね」や「シェア」お願いします!

カテゴリー:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です