中国での出来事の第二弾です。一弾目は【 コロナ禍の三年間 】についてでした。中国での大きな思い出、というか体験になりますが、中国での出産について書いていこうと思います。下の娘は中国で出産しました。今でこそ日本で普通に過ごしていますが、娘は6歳までずっと中国暮らしで日本を知りませんでした。
異国の地で出産するということは本当に大変なことでした。もちろん一番大変だったのは妻の方なのは言うまでもありません。本当によくやってくれました。この出来事は我が家では、もはや伝説級の話になっています。
中国の病院は全て前金払い
住んでいる家の近くに大きな病院があり、そこに通院していました。中国の病院は、日本と違いまず受付で登録料を支払います。挂号(Guàhào)といいますが、そこで何科なのか先生は誰にするのかの指名をします。治療費ではありません。あくまで最初の登録費です。中国の病院は基本的に全て前金払いです。お金を払わないと何も始まらないのです。各種検査にしても、まずその費用を払ってから検査に移ります。で、その挂号ですが、先生によって値段が違いました。院長クラスだと通常の5倍くらいの挂号がかかります。私たちは、一般の先生の中から帝王切開の経験が豊富な人を事前に調べておいて、その人を指名しました。一人目の息子は帝王切開での出産だったため、次も帝王切開になる予定だったからです。挂号の費用は院長の5分の1でしたが、その先生にして本当に良かったと思うほど優しくて良い先生でした。
中国語の問題がありましたので、毎回私も付き添いで通院しました。【 自己紹介ブログ 】でも書きましたが、当時の私の中国の会社での待遇は他の中国人と同じ扱いだったため、通訳は当然のごとく手配はされず自力でやるしかありませんでした。今思えばいい勉強になりましたが、結構大変でした。会社で話す中国語と全然ジャンルが違いますし、医療の専門用語なんかはそれまで使ったこともありませんでしたので、知らない言葉が多い多い。「あなたの奥さんはポーフーツァンでしたか?」って言われて、「は?」って何度も言ってしまったのをよく覚えています。ちなみに「剖腹产(Pōufùchǎn)」、帝王切開のことです。紙に書いてもらってようやく分かりました。いやいやムズイわ。
中国は男か女か絶対に教えてくれない
印象に残っているのが、妊娠中にエコー検査(彩超检查 Cǎichāo jiǎnchá)を何回か行ないましたが、日本でよくある「男の子ですか?女の子ですか?」は絶対に教えてくれません。何でも一人っ子政策時代に望んでいない方だった場合に堕胎することが社会問題になったようで、病院側は教えてはいけない規則になっていました。日本への一時帰国中に病院でエコー検査してもらって娘と教えてもらいましたが、それまでは本当にどっちか分からない状態でした。ちなみにこのエコー検査室は男性入室禁止で、私はエコー検査室に入れませんでした。入口付近でウロウロしていたら、あっちに行けと怒られました。
まさかの執刀医ガチャ
帝王切開の経験豊富な先生を選び、ずっとその先生に出産間近まで見てもらっていて、仲良くもなりお互いの信頼関係も出来てきて、もうこの先生に切ってもらえるなら安心、って思っていたら、「執刀医は手術の曜日によって異なります。手術日は病院で調整して順々に行なうのでいつの日になるのかは分かりません。」って間際で言われてビックリ!まじかよ!先生がやってくれるんじゃなかったの?って思わず詰め寄りました。
「こればっかりは病院のルールなので、ごめんなさい」と言われ、その先生も本当に分からなく、自分が担当の日に調整することは難しいとのこと。そんなことあり得る?って夫婦して困惑していました。もしかして、暗黙のルールで賄賂とか出したら先生指名できる?って考えすらよぎりました。ちょっと前の中国なら割とポピュラーに行われていたそうです。でも、きちんとした病院なので、院内のあちこちに「賄賂は絶対に受け取りません!」って宣言ポスターあるので、ダメなんだろうな。いや、中国だから建前はそういいつつも本当は・・・、などと良からぬことまで考えたりもしました。
運に身を任せた結果
もちろん賄賂なんてしませんでした。もうここまで来たのだから、運に任せる!と、妻は土壇場で覚悟を決めました。この覚悟は本当にすごいな思いました。
執刀医ガチャ、結果として誰になったかというと・・・。
まさかの院長でした!
ここにきて、一番偉い人!ラッキー!というか本当に持っているな妻は。もしかしたら、日本人(外国人)なので間違いがあってはいけないとか、そんな忖度が働いたのかも知れませんが、とにかく更に経験豊富な院長が執刀してくれることとなりました。院長は台湾人だからか親日感をものすごく出しながら色々と対応を行なっていただきました。その節はありがとうございました。
出産当日も色々ハプニング
まぁ、当然通院中も色々ありました。何々検査を受けてきてくださいって言われて、何の検査か聞き取れなくて検査票を見たら高齢者出産のためのダウン症かどうかの検査と分かり、それは分かったが、その検査はいったい何処なんだ?と病院内を探し回ったり(とにかくでかい病院だったので)、ということは結構日常茶飯事だったりしました。
出産予定日もやっぱりハプニングがありました。じゃあ、これから手術室に行きますね、とストレッチャー(たんか)で妻が運び込まれて行きました。後で聞いた話ですが、手術室に向かう廊下の段階でスタッフの一人から「麻酔はどのようにしますか?」って聞かれたようです。ずっと私が通訳で付き添っていたんだから、そのタイミングじゃないでしょ!?って思ったようです。妻は麻酔という中国語(麻醉 Mázuì)を知らなかったのですが、ジェスチャーや簡単な中国語と英語で麻酔関係の話題と感じたようです。あとは妻の憶測の話になってしまいますが、以下のようなやり取りだったみたいです。
ス:麻酔はするけれど高い麻酔と安い麻酔があるけど、どうする?
妻:高いと安いのでどう違うの?
ス:高いのは○○で、○○だけど、安いのは〇〇で、○○(聞き取れない)
妻:とにかく高いほうが良い物ってことね!?
ス:そうです
妻:じゃあ高いの!!
安い方にどんなリスクがあったのかは未だに分かりませんが、そんなこんなで無事手術を行ない、無事出産されました。色んな人がストレッチャーで運ばれて中に入っては、出てくるため、どれが妻なのかが分からない状態。まだかなまだかなと待っていたら、娘だけが先に運ばれてきました。
「あれ?妻は?」と聞いたら、「奥さんは今傷を縫っているところです、あとで出てきます」とのこと。妻よりも先に私と息子とばぁば(私の母)が子どもと対面しました。帝王切開後のカンガルーケアとかなかったのかなっと思ったり。とにかく無事に生まれてホッとしました。
生んだ後も大変だった
そんなこんなで生まれたのがこちら。その後も入院やら産後食やらと、妻は大変でした。帝王切開なので、傷の具合も注意が必要でした。毎日院長先生が傷のチェックしてくれました。アフターケアもしっかりやってくれて非常に有り難かったです。傷の治りが早かったとはいえ、5日くらいですぐに退院するのはやはり中国ならではでしょうか。
私の方で大変だったのは、手続き関係です。娘は中国で生まれたので、そのまま放置すると自動的に中国国籍になります。私たちは日本国籍で、いずれ日本に帰る身でしたので、娘も日本国籍にしないといけません。さらに日本国籍にした場合、中国で住むにはビザの取得をしないといけません。そのための手続きが大変でした。ざっというと、こんな感じの流れです。
- 中国の病院で出生証明書を取得する
- 日本の役所で出生届を提出する
- 日本の役所で戸籍謄本を取得する
- パスポートを取得する
- 居留ビザの申請を行なう
鬼畜だなって思ったのは、これらの流れを出産してから2ヶ月以内に済ませないといけないという縛りです。日本への出生届自体は3ヶ月以内なのですが、中国側のビザが出生から60日以内となっているため、実質2ヶ月しかない計算になります。そして、上海領事館を通じて中国にいながら日本の役所へ出生届を出して戸籍謄本を取得する方法もあるのですが、とてもじゃないけど間に合わないと思ったので、やめました。中国に来ていたばぁばが一時帰国して役所に行き手続きして、そのまま書類を中国までハンドキャリーする方法が確実で一番早い方法でした。日本中国間をEMSでやりとりする方法もありましたが、往復で10日もかかってしまうのでこれもやめました。パスポートの取得に1週間、ビザの申請にも時間がかかるので、少しでも時短を心掛けました。実質ばぁばの日本一時帰国は2日かそこらだったと思います。
パスポートの申請も大変でした。上海領事館で申請と受け取りを行なうのですが、なんと受け取りは本人でないとダメというルールから、生まれて2週間くらいしか経っていない娘を蘇州から上海まで連れて行かないといけない羽目に。蘇州から上海までは100kmも離れているのに、首も座ってない子どもを本当に連れていくのかと。この言葉をそのまま上海領事館の窓口の人に抗議しましたが、本人でないとダメですの一点張り。仕方ないので、やってのけましたよ。本当に大変でした。
そんな苦労も今では良い思い出
6年前の話でした。あの時はがむしゃらに頑張ってましたが、今思えば良い思い出ですね。娘も中国で大した病気も怪我もなく、今日本で元気に保育園に通っています。中国で病気とかしていたら結構それはそれで大変でしたが、親孝行に育っていると感謝しています。今でこそ笑い話になっていますが、改めて振り返ってみると結構な綱渡りでやっていたなとも思います。中国で学んだことの一つに「頑張ればどうにかなる」という経験があります。今でもそう思います。
今日は中国での出来事の紹介でした。いかがでしたか?またそのうち第三弾も書いていこうと思います。
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